いつか死んでしまうという恐怖


 こうした考え方は、必ずしも学校のカリキュラムだけに限った話ではない。広い意味で言えば、たとえば学校の課外活動で学ぶことも含まれるし、仕事で覚えたり身につけたりしなければならないことも同じことが言えるのだと思う。

 何かを学び、身につけることを通じて、それまでに知らなかった自分に出会う。そうすることによって、それまで興味の持てなかった世界や、力が及ばなかった物事に挑戦することができるようになる。

 すこし大げさに言えば、人が生きていくということには、そのような側面が含まれているのではないだろうか。学欲が僕らにもたらしているのはそのような効用であり、そこから遠ざかってしまうのは、どこかで人に歪みをもたらすのではないだろうか。

 そうやって学び、挑戦しつづけて、いったいあなたはどこにたどりつくつもりなのか、とある人は僕に尋ねるかもしれない。これは大切な問題だから、よく考えてみたい。僕らは、学び、挑戦し続けることで、どこにたどりつこうとしているのか。

 唐突にシリアスな話をするけれど、一人ひとりがたどりつく最終地点を、僕は「死」という場所だと考えている。その先にどんな世界が待っているのかは分からないが、ともかく生きている僕らは「死」という大きな区切りを迎えることを共有している。

 そこから目を逸らして生きていくことはできる。いや、むしろ多くの人はそれを見ないようにして生きているようにすら思える。でも「死」という厳然たる事実を隠してしまった瞬間に、「生」のリアリティもまた曖昧になってしまうように僕は感じてきた。

 個人的な話になるけれど、僕は七歳の時から死ぬことを怖いと思ってきた。大切な人がいつか死んでしまうこと。自分もまたこの世から消えて無くなってしまうこと。そして、その後には僕の存在しない永遠の時間が流れること。それらはとてつもなく大きな恐怖で、考えるだけで頭がおかしくなりそうだった。

 小学生の頃は、その恐怖が授業中に唐突にやってきたりして、教室で叫びだしそうになってしまうことも少なくなかった。そのたびに、変な奴だと思われないように机にしがみついて耐えた。できるだけ別のことを考えて、死への恐怖を追い払っていた。

 大人になってから周りに聞いてみたら、似たような経験をしたことがある人は少なくないということを知った。一方で、その怖さをどこかで感じなくなったという人も多かった。ただ、僕からは死の恐怖が完全に消え去ることはなかった。

 高校を辞めて大学受験へと僕を向かわせたのも、根本的には、一度しかない人生で、やがて死んでしまうのに、僕はこのまま何もせずに、家にこもったまま死んでいくのかという恐怖だった。