憎しみと罪悪感は人の心を蝕んでいく


 苦しんでいる人は、その責任を誰かになすりつけようとすると同時に、自分自身で引き受けようとする。たとえば「勉強ができない」と思っている人は、自分の生まれや育ちといった環境のせいにする一方で、怠慢な自分のせいだと考える。

 その結果、学欲を失ってしまったことに対して憎しみと罪悪感を抱くようになる。でも、それは間違ってる。憎しみと罪悪感は僕らの心から生きる気力を奪い取り、心を蝕んでいく。事実を知らないがゆえに間違った思い込みを抱いて、生きることの喜びを失ってしまうのは、あまりにもったいない。

 勉強ができない理由を、学欲を失ってしまった責任を、すべて自分のせいにすることはないよ。それと同時に、周りの環境が悪意でそうしているわけでないことも理解しておくことも大切だ。

 自分を責めるのも、他者を恨むのも、おそらく、どちらも正しくはない。大切なのは、ちゃんと事実を認識すること。

 自分がなぜ勉強ができないのか。どういうわけで学欲を失ってしまったのか。そうした事実を正しく知ることで、他者を恨む気持ちは和らぐ。自分を責めなくて済むようにもなる。誰も責めずに済むようになってはじめて、自分自身と向き合うことができるようになる。そこにある問題をはっきり見つめることができる。

 どうしようもなくダメで弱い自分と向き合い、受け入れることによって、ようやく僕らは自分を責めたり他人を恨んだりすることなく、自分を変えようと決意できる。十年前、僕はそうしたプロセスを経て、次のステージに進むことができた。

 そのような決意のもとに生きていると、世の中、まだまだたくさんおかしなことだらけであることに気がつく。自分が出会ったおかしな問題を解決しようとすると、そのためには自分はあまりに無知で、非力であることを思い知らされる。その時、その問題を解決するためにもっと学びたい、という気持ちが湧いてくる。

 たとえば、今の僕がそうであるように、ね。

 そのように世界が見えるようになってからは、それ以前と比べると、ずいぶんと楽しく、生きやすくなった。誰も責めることなく、現状を受け入れた上で、どのように自分が役に立てるかだけを考えられるようになると、生きづらさはどこかへ消えていった。

 だから、ここからしばらく続くネガティブな話に気を滅入らせずに、頑張ってついてきてくれると嬉しい。こうした話はすべて、事実を正しく認識するためであり、後でポジティブな解決策を示すための前フリなので。