現代文に限った話ではなく


 現代文は事前知識をさほど必要としないから、いきなり「考える」という作業に入ることができる。そうすることで、考える力が鍛えられる。だから考える力がなく勉強も苦手な受験生が、はじめに手をつけるのに適した科目といえる。

 でも、実は現代文にかぎらず、数学だって英語だって、理科だって社会だって、現代文に比べれば「知識」が必要だというだけで、考えることは欠かせない。だから現代文に限らず、あらゆる科目を通して考える力を高めることはできる。

 そもそも、考えるべき対象は受験科目だけではない。自分の日々の生活や、いかに生きていくかといったことも、僕らの考える対象だろう。そのことと向き合い、よりよくするにはどうすればいいだろうと考えることによって、僕らは考える力を高めながら、その解決策を自ら導き出すことができるようになる。

 たしかに、現実のテストや入試問題では、暗記ができていればほとんどの問題では点数が取れてしまう。でも、そこにたどりつくまでには、つまずいた時に「なぜだ?」と考えたり、より効率よくしようと「どうすればいいのだ?」と考えることが欠かせない。

 勉強のできない受験生の多くは、そのように問いかけることをしない。というか、できない。なぜなら、そのようなことが必要だとも知らないし、そうした経験を積んできていないから。

 だから、考えることをしないまま、その場その場の直感で物事を進めていこうとする。そんなやり方でうまくいくわけがない。だが、本人はそのことに気がついていない。そのため、必然的に失敗する。失敗という結果には、必ずこのような原因がある。

 しかも、考える力は勉強に限らず生きていく上で欠かせない。にもかかわらず、そうした訓練を積んでいなければ、きちんと考えることができない。それが生きづらさや人生の失敗を招くとも知らないまま、その後の人生を送ることになる。

 でも、考える力を高めることによって、この問題は解決できる。失敗しそうな原因を探り、その問題を解決することで、無用な失敗を避けられるようになる。

 受験生活においても、また、その後に塾を立ち上げてからも、学び、考え続けることが僕を支えてくれたと思う。それによって、僕は少しずつ力を身につけ、さまざまな形で直面する問題をひとつずつ乗り越えてきた。その経験が、僕をさらに成長させてくれた。

 自分のことだって、友だちや家族のことだって、会社のことだって、あるいはこの社会のことだって、考える機会はいくらでもあるし、解決すべき問題は山積している。

 身の回りにあふれているそのような機会を見つめれば、僕らはいつでも思考力や問題を解決する力を高めることができる。僕らはその機会をもっと活かして、生き延びるための力を身につけるべきではないだろうか。