理想の学校とはどんな場所か


 さらに想像力を膨らませて考えれば、学問とは、人類が編み出してきた至高の料理を載せたレシピブックと言うこともできるのかもしれない。

 僕らの父祖は、その時々の限られた素材を最大限に活用して、できるかぎり素晴らしい料理を作ろうとしてきた。それは、人類がその時々で直面した問題を乗り越えようとした軌跡でもある。その成果が学問の歴史であり、人類の輝かしい達成の歴史として今に伝えられているのではないだろうか。

 そんなイメージのまま語るとすれば、大学という場所は、最先端のキッチンを備えたレストランのような場所だとも言えるだろう。

 人類が直面した問題を前に、その時々の叡智を凝縮して作ったレシピが教科書に載っている。その料理の美味しさや素晴らしさを伝えながら食べさせてくれるのが、教授というシェフの役割。そして学生も自分でそうした料理を作れるようになりたいと、必死でレシピを覚え、その素材を手に入れて、料理の練習を繰り返す。

 大学が最先端のキッチンを備えたレストランだとすれば、そこに至るまでの教育は、そのための修行をする場所と捉えることもできるだろう。大学という最先端のキッチンを使いこなすために、あるいは、大学に行かずとも自分で料理を作って食べていけるようになるために、基本的な知識や技術を身に付ける場所。家の台所や町の食堂にも似た環境で、僕らは身近な素材のことを学び、基本的なスキルを身につける。

 こうしたものが理想の大学であり、理想の学校であるとすれば、現状はどうだろう。

 すくなくとも僕の経験でいえば、料理のおいしさを、すなわち学問や勉強の楽しさを教えてくれた教授や先生はあまり多くなかった。うまくできないとしても、美味しいと感じられないお前が悪い、といった考え方で接されることが多かったように思う。

 僕も僕で、そんな料理を習ったって将来役に立たないと考えていたから、本気で学ぼうとはしていなかった。もしその気になれば、人類が作ってきたさまざまなレシピを学び、美味しく食べることのできる環境であったにもかかわらず。

 それは、とてももったいないことだ。でも、そのことに教育を受けている間は気がつくことができない。学欲は静かに、だが着実に押さえつけられ、いざ自分で学ぶべき年齢に達する頃には、ほとんど完全に封印されてしまうからだ。