報われない努力に意味はない?


 すべての努力が望みどおりの結果につながるわけじゃない。受験生はそう信じて努力をするけれど、残念ながら、それは真実ではない。だって、それができればとっくに人類は完全な幸せを享受しているだろうし、悲しみに打ちひしがれる人はいないはずだ。でも、現実はそうはなっていない。

 だから、当たり前のことだけれど、そもそも努力はすべてが望みどおりの結果をもたらすものではないのだ。でも、だからといって、それは努力しないことの理由にはならない。なぜかといえば、ある努力が、どのように役立つのかは、後で振り返ってみるまで誰にも分からないからだ。

 たとえば、初恋の女の子に振り向いてもらおうと思って行った努力は、必ずしも報われるわけじゃない。というか、僕の経験的にいえば、努力は報われないことの方が多い。

 でも十年後に振り返って、たとえ振り向いてもらえなくてもあの時に努力できてよかった、とその女の子に感謝できることはある。僕はそう心から思っている。運命の赤い糸だと思い込んでいたものが違うとわかった時には絶望的な気持ちになったけれど、まぁ、それはさておいて。

 結果はどうなるのかは分からないけれど、どこかでそれがつながると信じて努力しないかぎり、僕らは前に進むことができない。これは大切な前提だ。この前提を共有できなければ、僕らは努力する意味を見失ったまま、一歩も動けなくなってしまう。

 二章で述べた「結果のパラドックス」を思い出してほしい。

 目の前の結果だけを求めていると、それが得られないことへの恐れが、努力することにブレーキをかけてしまう。受験期の終盤に追い込まれて自滅していく受験生は、受験生の心の内側が表に出てこないから見えないだけで、ほんとうにたくさんいる。

 でも、結果はどうなるのかは分からないとしても、いまこうして努力していることはどこかで未来に結びつくのだと信じることができれば、結果に対して過大な恐れを抱くことはなくなる。その結果として、自分の最高のパフォーマンスを発揮しやすくなり、求めていた結果を得やすくなる。

 自分のベストを尽くして、考えられるかぎりで最も良い結果を手にする受験生は、実は、他人が思っているほど結果を気にしていない。やることはやりきったから結果は受け入れようという気持ちになっている。これは受験生の境地とも言える心境で、古くから「人事を尽くして天命を待つ」と表現されてきた。

 努力がすぐに報われたなら、それは喜ばしいことだ。でも、未来は誰にも分からないのだ。僕らにできることは、結果が出ることを願いながら、そして、未来につながることを信じながら、ただ目の前のことに全力を尽くすことだけなのだ。