⑩「仕方ない」という呪文を唱える


 勉罪病も含めて、あらゆるネガティブな問題に対抗できるマジック・ワードがある。それが「仕方ない」という言葉だ。

 日本人は「仕方ない」という言葉をけっこう頻繁に使う。うまくいかなかったのは仕方ないよ、みたいな感じで。でも、これは割と日本的で特殊な考え方だと言われていて、どこの国の人もこうした言葉を僕らが使っているように使うわけではないらしい。

 僕はこの「仕方ない」という言葉が以前から好きで、よく口にしてきた。しんどい時にこの言葉を呪文のように唱えてきたおかげで、僕はこれまで幾多のピンチを切り抜けてこられたと思っている。

 実際、世の中には「仕方ない」ことはたくさんある。だって、たとえば世の中には生まれてすぐに死んでしまう子もいるのだ。僕らがそのひとりにならなかったのは、単純に幸運だったに過ぎない。それでも、僕らだって、明日、事故で死んでしまうかもしれない。

 それだって、どうしようもなく「仕方ない」ことだ。「不条理だ」と嘆いたって何も変わらない。起こってしまったことはすべて「仕方ない」のではないだろうか。

 「仕方ない」という言葉の対極にあるのは、後悔の感情だ。

 後悔の感情は「過去をこう変えることができたはずだ」という思い込みから生まれる。でも、本当にそんなことができたのだろうか。その瞬間瞬間で、僕らは僕らなりに全力を尽くして生きてきたのではないだろうか。ある結果が生まれたことには原因があるのだから、そのどれかひとつだけを自分の都合のいいように取り替えることなんて、できないように僕には思える。

 あの時、ああしておけば、こうなったかもしれない。確かに、そう考えることはできる。数日前、原稿を書いているこのノートパソコンにお茶をこぼして壊してしまって、新しいのを買わなくちゃいけなくなった時には、僕も思った。「あんなところにお茶を置かなければ……」。

 でも、それだって仕方なかった。文章を書くことに必死で、まさかお茶をこぼすなんて考えてもいなかったのだから。でも、そういう過ちをした僕は、以前よりもすこし用心深くなったと思う。すくなくとも、倒れやすいグラスをノートパソコンの脇には置かなくなった。

 あの時ああしておけば、という思考実験をすることで、過去を省みて、未来に活かすことは大切だと思う。でも、それと後悔とは、まったくの別物だ。

 後悔しても、そこからいいことはなにひとつ生まれないと僕は思う。むしろ、ネガティブな気持ちだけがつのっていく。あえて言えば、後悔という感情は有害なのだ。

 だからこそ、起こってしまったことは「仕方ない」と考える。でも、未来はまだまだ「仕方ある」のだ。起こってしまったことは変えられないけれど、これから起こることを変えることはできる。そのために、いまできることに全力を尽くせばいい。

 過去を仕方ないと考えた上で、諦めるのではなく、そうなってしまった原因を理解することで、未来において同じ過ちをすることを避けられるようになる。

 こう思っていれば、周りの人を責めたり怒ったり、自分の置かれた環境を呪ったりすることはなくなる。「仕方ない」と思うことによって、ネガティブな感情を抱くことなく、自分の弱さ受け入れた上で、問題解決へ向けた一歩を踏み出すことができる。

 たとえば、志望校を下げる時に僕らがつぶやけるのは「仕方ない」という言葉だけだ。それは、受験という期間においては諦めの言葉なのかもしれない。でも、長い人生で見た時に、きちんと現実を直視して、過去を反省して、よりよい未来を作っていくためには必要な方法だとすれば、ここにポジティブな響きを感じることはできないだろうか。

 それとも、「仕方ない」とつぶやかずに、過去のサボってきた自分を責め続けた方がいいだろうか。僕の経験では、過去の自分を責めても、物事が良くなることはない。

 僕だって、まったく後悔することがないわけじゃない。あの時、こうしていれば、と心から悔やむことのひとつやふたつは、人生においてあるよ。そういう後悔を、僕らは一生引きずって歩かなければならないのだと思う。

 でも、だからって前に進めなくなってしまうのは間違っていると思う。だったら「仕方ない」と思えることはできるだけ「仕方ない」で済ませて、前を向いて歩いた方が楽しくはないだろうか。

 どうすることもできない災厄に見舞われた時、僕らの祖先は、何かを責めたり呪ったりするのではなく、過去を「仕方ない」と引き受け、未来が良くなることを祈りながら前を向いて歩いてきた。僕らが生きているのは、そのようにして作られた世界なのだ。

 「仕方ない」という言葉は、多くの人が思っているような諦めの表現ではない。過去をまっすぐに引き受けることで、未来を創り出すためのポジティブな言葉なのだ。

 そう考えると、なかなか素敵な日本語じゃないですか。