プロローグも終わってない


 「人生を味わい尽くす」ということを考えてみると、僕らが学び、生きることは、一編の物語を読むのに似ている。

 物語を読むことは、ハッピーエンドの結末を知るためではない。むしろ、それを知りたいなら、途中をすっ飛ばして結末だけ読めばいい。でも、そんなふうに物語を読む子どもはいない。なぜなら、そんな読み方はおもしろくないから。

 でも、そのような物語の読み方をしている大人は、意外とたくさんいる。何冊読んだかとか、どんな難しい本を読んだかといったことを気にするようになる。かくいう僕もそんなふうに読んでいた時期がある。

 そのような読み方ではその内容を十分に理解することはできない。そして、そうした読み方を続けていると、いつしか読む楽しみを忘れ、物語を読むことから離れていく。

 子どもはそんなことを考えない。子どもが夢中で物語を読んでいる時は、結末にたどりつこうとすらしていない。そう見えるかもしれないけれど、子どもは結末を知るために読んでいるのではない。むしろ「この物語が終わってほしくない」と感じながら、結末に近づくことを惜しみつつ一ページ一ページを味わい尽くしている。

 ストーリーを追いかけた最後にどんな結末が来るのかは、物語を読む楽しみのひとつだ。どうなるのかが分からないからこそ、僕らは先に読み進めようとする。

 そうやって読み進める間には嬉しいこともあれば、哀しい出来事とも遭遇する。怒りを感じることもあれば、楽しく思う時だってある。それでも主人公がすこしずつ成長していくのを喜びながら、僕らは最後のページまで読み終える。そして読み終わった時に「あー、おもしろかった!」といって本を閉じる。それが子どもの読み方だ。

 これは僕の考えだけれど、自分の人生の最後を迎える時は、そんなふうに「あー、おもしろかった!」と言って終わりにできたらいいなと思う。「こんなおもしろい時間を味わえて、生まれてきてよかった!」と思えるくらい、目一杯、自分の人生を味わい尽くしたいと思う。

 他の誰かの活躍をテレビで観るのは楽しい。天才の物語を読むことも心躍る。でも、僕らは既に自分という物語の主人公なのだ。そのことを忘れて生きるには、一度しかない僕らの人生は、あまりに重大過ぎやしないだろうか。

 この先、どんなことが起こるのかは分からない。でも、わからないからこそ、物語の先を読み進めるのが楽しいのではなかったっけ。

 時々、まだ十代なのに「自分なんてこんなもんだ」というふうに見切りをつけている若者に出会う。物語がどんな結末を迎えるのかを悟っているかのような若者は「今までの自分を振り返ればそう思うしかないよ」と思い込んでいる。

 でも、それは大いなる誤解だよ。だって、十代なんて、まだまだほんとうに人生はじまったばかりだ。物語で言えば、まだプロローグすら終わっていないくらい。この先、何章も何十章もある物語が今ようやくその幕を開けようとしているのに、ここでその物語を読み進めるのを諦めるつもりかい。

 どんな物語にだって、前フリがある。僕が高校を辞めることになった時、もうこれで自分の人生は終わりなんじゃないかと思った。でも、それは僕が物語にまだ先があるということを知らなかったからだと、今は分かる。だから、諦めちゃいけない。

 どんなしんどいことが起こっても、それは次に起こる出来事の前フリにすぎない。そして、その前フリがひどいものであればあるほど、その先にやってくるストーリーはおもしろい。だとすれば、その苦い前フリを味わいつつ、さてどうやって乗り越えていこうかと未来にワクワクしながら生きることだってできるんじゃないかな。