人類の歴史を引き受ける


 僕らは学ぶことによって、こうした人類の歴史を振り返ることができる。「自由」や「貧困」だけではない。「読み書き」や「衣食住」だけではない。僕らが常識だと思っているありとあらゆるもののすべてに、人類の営みが詰まっている。

 たとえば、僕の目の前にあるパソコンや、パソコンを使って行うインターネットの歴史ひとつとっても、数知れぬ人の努力と情熱がつまっている。

 人類の営為がどれほど僕らの中に注ぎ込んでいるのかを感じ、その上に僕らの人生があることに気づけば、そこに自然な感謝の念を覚えずにはいられない。

 そうした感謝の念は、生存の危機に晒されている時に感じる余裕はない。でも、衣食住に困らないだけの生活ができていれば、僕らは安心して自分の未来のために学ぶことができる。学ぶことを通じて自分が世界から何かを受け取っているということが感じられれば、僕らを取り巻く大きな歴史の流れにも気がつける。

 生まれてきてよかった、と思えるのであれば、その歴史に感謝せざるをえない。生まれてこなければよかったのに、と思うのであれば、その歴史を憎まざるをえない。

 そのどちらに行くのかは、残酷な偶然によって決まってしまうのかもしれない。でも、生まれてこなければよかったのに、と思いたい人なんていないはずだ。だから、目指すべき方向は決まっている。生まれてきてよかった、と思えるようになること。

 食べるものが足りず、飢えを感じることが当たり前の時代があったことを考えれば、現代の日本に生まれるだけで、その方向へ歩むためにどれほどの可能性が開かれていることだろう。そう思う時、人類の歴史を引き受け、自分にはどんなことができるのだろうかと考える気持ちが芽生える。

 僕らは、僕ら次第で、こうした人類の努力を引き受けて、自分たちの解きたい問題を切り出し、その解決に力を尽くすことができる。そのようにして人類の壮大な営みの一翼を担えることは、僕にはとても喜ばしく感じられる。

 それとも、そんなことを考えないで、自分はただ一人の力で生きてきたし、これからも自分一人のために生きていく、と思う方がいいだろうか。

 もちろん、そういう生き方をしたい人はすればいいのだと思う。

 でも、僕より年下の若者で、そうした考え方を持っている人は驚くほど少ないように思える。僕の実感値で言えば、皆無といっていいくらいだ。年上の世代との違いははっきり感じられる。こうした若者の心の変化には、社会の変化が反映されているように思える。