考えることは料理に似ている


 では、考えるとはどのような行為なのだろう。先に結論を述べると、僕の考えでは、「考える」ことは「料理」にとてもよく似ている。

 料理は、素材を適切に、素早く組み合わせることで完成する。ささっと作れるスピード料理もあれば、長い時間をかけて作るものもあるだろう。中には、何十年と熟成した素材をベースにする料理だってある。

 世界の至るところで料理は行われていて、日々変化が加えられている。同じ料理でも、地域や家庭によって少しずつ味付けは違うわけで、料理のバリエーションはほぼ無限と言っていいだろう。

 ただ、それがどんな料理であれ、素材を組み合わせて作ることに変わりはない。その際に大切なのは、その素材を適切に選び、素早く調理することだろう。この点が「考える」ことと似ている。

 考える内容は一人ひとり違う。でも、僕らは自分が知らないことは考えられない。だから、知っていることを組み合わせるという方法で僕らは「考える」。

 たとえば多くの受験生の苦手科目である数学を例に取れば、知っている定理や公式を組み合わせて回答する。何かに対して自分の意見を述べるという時にも、それについて自分の知っていることを的確に組み合わせて考えを述べる。

 料理も、考えることも、どちらも自分でゼロから素材を生み出してはいない。手元にある素材を、適切に、素早く組み合わせているに過ぎない。数学ができる人も、自分の意見を的確に述べられる人も、どちらも「頭がいい」と言われるが、それは知っていることを上手に組み合わせているのだと言い換えられる。

 つまり考える力とは、知識を適切に、素早く組み合わせる力なのだ。その力を「思考力」と呼んでもいいけれど、それは決して抽象的な生まれつきの能力ではない。思考の適切さも素早さも、料理のように鍛えることができるからだ。

 あらゆる創造的なアイデアにしても、無から有へと変わったわけではない。既に世の中に存在しているものを、新しい組み合わせ方をしたために、それを知らなかった人には無から有が生まれたように感じられるのだ。

 どれだけ革新的な芸術作品や画期的な製品だって、無から生まれることはない。僕らが何かを考えたり創造したりする時は、既にある素材を組み合わせているだけなのだ。それが創造的であるのは、素材の新しさではなく、組み合わせの新しさなのだ。こうした点もまた、料理とよく似ている。