いま、しんどく生きている若者にこそ


 いま、しんどく生きている若者にとって、これまで僕が述べてきたようなことは、ずいぶんと遠い世界の話のように感じるのかもしれない。

 でも、覚えておいてほしい。いつの時代だって、その社会の変わり目を担ってきたのは若者であり、その中でも特にしんどく生きている人々の集団だった。

 たとえば、坂本龍馬。

 彼が中心となっていた海援隊は、元はといえば脱藩した浪人たちの結社だった。脱藩は死罪にあたるほど重い罪であり、彼らはその時代における「はぐれもの」たちだった。要するに、その時代の常識に照らしていえば、レールから外れた人々だったのだ。

 でも、彼らが普通でない道を行くことになったのは、その時代の常識をおかしいと感じたからだった。おかしいと感じたからこそ、彼らは命を賭けてでも自分の信じた道を切り拓こうとした。そうした人たちが、新しい時代を切り拓く原動力になった。

 おかしい。

 そう感じても口にだすことすら危ぶまれた不自由な時代を経て、力の限り叫んでも命を取られることのない時代に僕らは生まれた。命さえ取られなければ、ゲームオーバーになることはない。失敗は、すべて未来への経験になる。そのような時代に、おかしさを解決するために、自分の信じた道に挑戦しない理由があるだろうか。

 一度学欲を抱くことができれば、挑戦に伴うあらゆる困難は、自分に学びを与えてくれる機会に変わる。そうやって自己を成長させ、他人や社会に貢献できる力を高めていくことができる時代に、挑戦しないで他に何をすべきだというのだろう。

 たしかに、世の中を見渡せば困難ばかりだ。この国の未来も真っ暗に感じられる。でも、いつだって変革の前夜は最悪の状況だった。むしろ、そうした状況は、物語的に言えば、この先におもしろい場面がたくさん待っているというサインではなかったか。

 僕が切り出した学欲という問題は、どこか遠くにある問題ではない。それは、僕ら一人ひとりの心の中にある問題だ。だから、それを政権交代のように、一夜にして変えることは不可能だ。

 でも、この本を読んでくれた人が、一人、また一人と学欲を抱き、自分の人生を主体的に生きるために一歩踏み出すとしたら、それはまさに変革への第一歩だと思う。

 千里の道も、一歩から。その最初の一歩を踏み出すきっかけになればいい。そう考えて、僕は学欲という旗印を掲げてみた。それが、一人ひとりの心に変革の火を灯すことを願って。

 これまでの歴史では、大いなる変革を成し遂げるためには、ある旗の下に多くの人が集わねばならなかった。そのようにエネルギーを結集しなければ、打ち倒そうとしている既成の力に対抗できなかったからだ。

 でも、今はそのような時代ではない。誰かの旗の下に集まる必要はない。大切なのは、一人ひとりがそれぞれの旗を掲げ、心に情熱の火を灯し、自分の人生を精一杯生き抜くこと。その歩みの果てに、僕が夢見ている革命は成し遂げられるように思う。

 それは歴史で学ぶような血の流れる革命ではない。でも、一人ひとりの生き方が変わり、世界が変わっていく、静かだが、確かな革命だ。

 革命は一日では成らない。もしかしたら僕の生きている間にもならないかもしれない。でも、それでもいいんだ。

 坂本龍馬の時代には、犬死としか思えない死に方をした人がたくさんいた。彼らの中の主張の中にはいま振り返れば馬鹿げたものもたくさんある。でも、そうした一人ひとりの行為がなければ、今はない。だとすれば、犬死としか思えない人の人生の中にも、一欠片の意味を見出すことはできる。

 どれだけ真剣に歴史に学び、最新のことを学んだとしても、ほんとうに正しいことなんて誰にも分からない。それは歴史が後になって決めることだからだ。

 だから、僕らにできることは、自分の理想を追い求め、問題を切り出し、その解決のために誠実に、全力を尽くしていくことだけなのではないだろうか。

 その結果がどうなるのかは、僕にも、誰にも、分からない。

 でも、それでいいんじゃないだろうか。だって、僕らは結果を得るために生きているわけではなく、いまこの瞬間に全力をつくすために生きているのだから。

 結果は、それをやり抜いた後で、自然とついてくるものなのに過ぎない。そう思いながら、僕はこれからも信じた道を進んでいきたい。

 この本を読んだ一人ひとりが、それぞれの理想を掲げ、世界から問題を引き受け、自分の人生を精一杯生きて、最後に「おもしろかった!」と叫んでほしい。そんな人生を送るために、この本が少しでも役立つことを願いながら、本書を終えたいと思います。



(六章終わり)