学ぶことと食べること


 短期的にみれば、点数を取るためには問題の答えを暗記だけするのが一番てっとりばやい。だから、知識を暗記することが勉強であり、それを首尾よく成功させることが教育だと考えられている。

 でも、それは子どもを一人で生きていくことのできる大人へと成長させるためのプロセスとしては、明らかに間違っている。むしろ、僕らは知識を得ることよりも、知識を組み立てて「考える」力を鍛えるべきではないだろうか。

 自分で考えることによって、自分の手料理を作るように「自分の考え」を作り出すことができる。手料理を自分で美味しいと感じたり、他の誰かが美味しそうに食べる姿を見て喜びを感じるように、僕らは「自分の考え」を味わうことができる。そうした経験が、もっと食べたい、料理を作りたい、という気持ちを高める。

 小さな子どものささやかな思いつきも、たとえば僕の「学欲」というアイデアも、そのようにして創り出されている。そして、本来ならば、子どもが大人になる過程では、さまざまな料理にチャレンジすることで、自然と料理のスキルは磨かれ、美味しいものを食べることが好きになっていく。

 でも、残念ながら、僕らはそのような形で料理や食べることを好きになれてはいない。むしろ現実は、このようなものではないだろうか。

 生の食材を食べさせるようにして、断片的な知識を暗記させられる。その結果として出てくるテストの点数には、焦げついた料理のような苦味を感じる。隣の席では友達がおいしそうに料理を食べるのを見ながら、自分は指をくわえたまま眺めているだけ。

 なんとかしようとしてもがいて、手を切ったり、やけどしたりしながら挑戦するけれども、ぜんぜん楽しくないし、うまくもいかない。その一方で、そのうまくいかない結果によって、自分の価値が低いかのように評価される。そんなことが繰り返されるうちに、いつしか子どもは料理を作ることも、食べることすらも嫌がるようになる……。

 僕らが当たり前だと思っている教育は、実は人が本来持っている食欲を無理やり失わせるプロセスのように働いていて、僕らが自然な形で備えていた学欲を押さえつけている。その結果、料理を面倒だと思うように、僕らは学んだり考えたりすることをやめてしまう。まるで拒食症になるように、僕らは学ぶことへの拒否感を強めていく。

 僕は学校に責任があると言いたいわけではない。教育に関わってきた一人ひとりは、いろいろ問題はあるにせよ、基本的にはいつの時代も全力を尽くしてきたと僕は思う。

 それでもこうした現状があるとすれば、それに文句を言っても仕方ない。僕らにできることは、現状を受け入れた上で、自分の頭で考えて行動していくことだけだ。

 でも、学欲を取り戻すことさえできれば、一人ひとりは自ら学び、考えることをしはじめる。そのことは僕が塾生を指導してきた経験から断言できる。

 食欲を取り戻すように学欲を取り戻せば、人は放っておいても学びはじめる。美味しいものを食べたいがために、自分で料理の練習をするようにもなる。

 そうやって、錆び付いていた思考力はどんどん磨かれていく。それによって、僕らはすこしずつであれ、変わることのないと思っていた頭をよくしていくことができる。