「手段」と「目的」の転倒が起きている


 ここで、これまで述べてきた学欲を失う五つの原因を振り返ってみよう。

 子どもは、(1)選択の自由のないまま、(2)不適切な難度の学習内容を、(3)楽しむこともできずに、(4)それを学ぶ意味も分からずに、(5)ジレンマに引き裂かれながら勉強させられる、というのが現在の学欲が置かれた環境だ。

 僕の仮説がいくらかでも正しいとすれば、これでは子どもが学欲を失ってしまって当然だろう。僕の考えでは、これらの学欲を失う原因はこんがらがった糸のごとく絡み合い、誰にも解きほぐすことができないほど複雑になってしまっている。

 これほどまでに複雑化してしまった問題の解決策を、僕一人の頭で導き出すことなんて、とてもできない。ただ、これほどまでに複雑化してしまった根本的な原因は、僕には思い当たるところがある。それは学びにおける「手段」と「目的」の転倒だ。

 僕らは、何のために学ぶのかという「目的」を考えることなく、ただひたすらに学び続ける。高校を辞めるまでは、僕自身、ずっとそうやって勉強していた。目的を自覚することのないまま、盲目的に勉強をさせられていた。

 そのような月日を重ねるうちに、学びはいつしか単なる「手段」に成り下がってしまう。何の手段かといえば、何らかの「結果」を手に入れるための手段だ。たとえば、良い成績。たとえば、良い学歴。たとえば、良い就職先……。

 学ぶことは、いつしか「結果」を手に入れるために仕方なく行う「手段」になっていく。でも、僕の考えでは、学ぶことは単なる「手段」ではない。なぜなら、学欲という欲求が存在するとすれば、欲求はそれを満たすことそれ自体を目的としているからだ。

 食欲や睡眠欲や性欲は、それを満たすことを目的として存在している。欲求を満たすことは、単純に喜びであるはずだ。なぜ喜びなのかといえば、僕らが生き延びるためにそれが大切だったからだろう。あるいは、生きることを楽しむために大事だったからだろう。

 きっと、学欲も僕らが生き延びるために大切にしてきた欲求なのだ。でも、僕らはそうした欲求にフタをしてしまっている。それによって、生き延びる力と、生きることを楽しむ力を失ってしまっている。

 「手段」と「目的」が転倒し、学びが単なる「手段」に成り下がることで、学欲は傷めつけられ、ダメにされてしまっている。あまりにそれが自然に行われているために、そうした欲求がこの世に存在しないかのように扱われている。

 このことを、塾を開いてからこの方ずっと考え続けてきた。これが僕の妄想に過ぎなければそれに越したことはない。でも、考えれば考えるほど、たくさんの若者に出会えば出会うほど、こうした考えは弱まるどころか、確信へと変わっていった。