学欲を失う原因その4 学ぶ理由が分からない

 授業それ自体を楽しく感じられないということに加えて、そもそも、なぜ勉強するのかが分からない、というのも学欲を失わせる原因だ。

 なぜ、勉強する必要があるのか。この問いには百人いれば百通りの答えがあっていいと思う。ただ、どんな答えであれ、それは「なぜ学ばなければならないのか」という子どもの素朴な疑問を解消できる答えでなければならない。そうでなければ学びたいという気持ちにはなれない。

 論理的に答えてくれる先生はいるかもしれない(受験に必要だからとか、将来役に立つからとか)。でも、子供心にも「なるほど」と納得できて、「学びたい」という気持ちにさせてくれる答えを返してくれる先生には、僕はほとんど出会ってこなかった。

 多くの大人は勉強する理由として「将来役に立つ」と言う。でも、そう言われたって、その「将来」を経験したことがない子どもにピンと来るはずがない。

 「将来」という言葉のリアリティを支えるのは、それを言う大人の生き様だ。だから「将来役に立つ」と伝えるためには、それを言う大人が、現に子どもの憧れの的になるくらいかっこよく、楽しそうに生きていなければならない。そうでなければ、大人の言葉を信じて勉強しようという気持ちは起こらない。

 たとえば、ある科目をなぜ学ぶのかという答えにしても、その科目を学ぶ意味や喜びを先生が実感していて、その上で言葉を発さなければ決して答えることはできない。

 つまるところ「なぜ学ぶのか」が伝わらないのは、それを伝える大人の側が実感として分かっていないからだろう。それを分かっていない先生は、憧れられる存在になれないし、伝えることもできない。

 大人が「勉強しておけばよかった」という時、自分の過去を振り返っての「後悔」の感情とともにあることが少なくない。でも「なぜ学ぶのか」という子どもの疑問に答え、やる気にさせるためには、「後悔」という過去へ向いた感情ではなく、未来へのポジティブな生き様を通して以外に伝える術はない。

 「なぜ学ぶのか」を分かっている人は、現在進行形で学び続け、その学びゆえに輝きを放っている。だからこそ、生き様でそれを伝えることができる。若者が出会うべきは、そうした「自分を真似しろ」と言うことのできる大人だと僕は思う。

 だが「自分を真似しろ」と言い切ることのできる大人は少ない。僕だって、そう言い切るのには抵抗があるよ。でも、大人がそう言わなくたって、若者はいつだって「真似したい」と思える人を探し求めている。テレビの中の人や、マンガやアニメの主人公に憧れるのだって、そうした欲求の現れないではないだろうか。

 「真似しろ」なんて言わなくたっていい。でも、そう言えるくらいに学び続け、後に生きる人の手本になることこそが「先に生きている」という意味での、すべての「先生」が果たすべき役割なのだと僕は思う。

 けれども、現実にはそのような先生は十分にはいない。残念ながら、それは今に限ったことではなく、過去からずっと繰り返されてきたことなのだろう。