努力はどこかでつながっていく


 努力が大事だ、という考え方を受け入れるには、努力することを避けてきた人にとっては身を切られるようにつらいことのように感じられるはずだ。というのも、これまでの自分の生き方を一度は否定しなければならないから。

 でも、もし自分が変わりたいと思うのであれば、自分がこれまで努力を避けてきたという事実を受け入れる必要がある。そうしなければ、いつまでたっても努力と無縁のまま生きることになる。それでは、本当に変わることなど、できるわけがない。

 人は自由に生きていいのだから、努力しなければいけない理由はない。でも、努力しなければ、自分が持っている可能性には気がつけない。すぐそこにあるのかもしれない才能の種は、永久に花開かないまま終わってしまう。本当に、それでいいのだろうか。

 僕にしたって、すべての努力が報われてきたわけではない。受験勉強は、その時は政治の道に進むためにと思ってやっていたけれど、大学に入って政治の世界の現場を見ているうちに、数ヶ月もせずに政治の道という目標はあっさりと消えてなくなった。

 あるいは、大学時代は小説家になろうと思って本を読んだり、自分なりに文章修行をしたりもしたけれど、僕は一冊の小説を生み出すこともないまま今に至る。でも、おそらく、あの時期がなければ僕は今こうして本を書くことはできなかったように思える。

 振り返ると、僕が人生で努力してきたことは、僕が次の未来を選択するための下地になった。もし、そのどれかひとつでも欠けていたら、その選択をすることはできなかった。

 もし僕がこの本を書く努力をしなければ、きっとその後にやってくるはずの未来が訪れることもないのだろう。たとえば、この本がたくさんの人に読まれるかどうかはわからない。それでも、努力はどこかでつながっていき、そうやって未来は少しずつ形作られていく。そう信じていなければ、こんな長い文章を書くなんて大変なことは続けられないよ。

 そのように努力をする過程で、僕らは多くのことを学ぶ。それによって、さまざまなことを世界から受け取る。必死で努力すればするほど、受け取るものが増える。そのようにして、僕らは学び続け、世界を広め、自分の力を伸ばしていく。ある時、広がった世界の中で、自分の力の届くところで「頑張りたい」と思えるものを見つける。たとえば、僕がこの本を書こうと決意した時のように。

 もし僕が学びによって世界を広げていなければ、「頑張りたい」と思えるものに出会わなかっただろう。あるいは、もしも学ばずに「頑張りたい」と思えるものに出会ったとしても、きっと自分の力不足で諦めていたに違いない。