学欲を失う原因その3 そもそも授業が楽しくない


 勉強が嫌いな子どもでも、理科だけは好き、とか、歴史だけは好き、といったように、ある科目やある分野だけは好きだということは少なくない。

 僕はといえば、小学生の頃は理科が好きな少年だった。生き物も、宇宙も、モノの動き方も、あるいは石ころだって、すべてが心惹かれるものだった。独特な匂いと静けさに包まれた理科室での実験は、とりわけワクワクするものだった。理科室から拝借した黒曜石のかけらは、当時集めていた石のコレクションの中でも一番の宝物だった。

 パソコン(当時はコンピューターということの方が多かった)やインターネットに早くから興味を持ったのも理科少年だったことが影響しているように思う。

 ただ、それほど好きだった理科も含めて、高校を辞める頃にはすべての科目が嫌いになっていた。単純に、授業が楽しいと感じられなくなったからだった。高校に入ってからの理科は暗記ばかりで、それまで感じていた理科へのワクワク感は一気にしぼんでいった。

 その一方で、高校を辞めてからは、ずっと嫌いだった社会科目に興味が出てきた。それには一緒に暮らしていた祖父の影響があったように思う。

 僕は高校に入ってから、一人で暮らしていた祖父の家に移り住んだ。祖父は、日曜の朝には政治や経済の討論番組を、夜になるとNHKの大河ドラマを欠かさず見ていた。番組が終わると、それについて考えを僕に問いかけたり、自分の考えを僕に伝えたりした。夕飯を食べ終えて酒を飲みはじめると、よく戦争のことを僕に話したりもした。

 そういった祖父の話を、はじめは適当に聞き流していた。でも、八十年近く生きてきた人が自分の体験を元に語る話は、学校で教わってきた社会科目よりずっとリアリティがあった。普通の高校生ならそんなことより勉強を、という流れになるのかもしれないけれど、学校の勉強はほっぽり出して暇だった僕は、祖父の話にずっと付き合っていた。

 そのせいか、高校をやめて手当たり次第に本を読みはじめた時は社会科目に関係する本を中心に読んでいた。とりわけ熱中したのは、司馬遼太郎という歴史作家の書いた『竜馬がゆく』という小説だった。幕末の志士、坂本龍馬をモチーフに書かれた小説だ。

 さまざまな本と出会い、僕は歴史や政治経済といった社会科目のおもしろさに目覚めた。無味乾燥な教科書の用語を暗記させられるだけの社会は、小学生の頃から一番嫌いな科目だった僕だったけれど、いつしか一番好きな科目に変わっていた。

 僕の経験を振り返っても、また、塾生に得意科目を聞くたびにも思うけれど、ある科目を好きになるのには必ずきっかけがある。それは、僕にとって祖父がその役割を果たしたように、ある科目への情熱を持つ先生との出会いであることが多いように思う。

 でも、現実にはそのような先生と出会えることは少ない。それは、必ずしも学校の先生だけの責任ではない。カリキュラムに沿って、限られた時間内で然るべきことを教えなければならない決まりになっているから、たとえ情熱を持っていたとしても、知識を伝えるので精一杯で、その科目の楽しさまで伝えられないのだ。

 僕の場合で言えば、教えてくれた先生方には大変申し訳ないが、僕に科目の楽しさに気づかせてくれた先生の顔はほとんど思い浮かばない。好きな科目を嫌いにさせてくれた先生なら、すぐに、何人も浮かぶのだけれど。

 多くの若者と接してきた経験から言えば、残念ながら、こうした僕のケースが特殊な事例であるようには思えない。