種を守り育てる


 そもそも、この章は「才能」という言葉について考えるところからはじまったのだった。そのところに戻って、この章を終えることにしよう。

 天才と呼ばれる人たちは、才能があったから花開いたのではない。たしかに、花開くための種となる才能はあったのかもしれない。でも、その種を見つけて、ていねいに水をやり、育てることをしなければ、花は咲かなかった。

 才能というのは、そうした「種」のようなものなのだ。すべての人に等しく「種」は与えられている。ただし、僕らの中にある種は、それが花開くまでは、どのような種なのかはわからない。

 放っておいても咲くほど、僕らの中にある「種」は強くはない。それは大切に守り、水をやり、土を耕して、丁寧に育てていかなければ、すぐに失われてしまうほどに脆いものなのだ。

 そして、もし「自分は才能のない人間なんだ」と思ってしまえば、種は養分となる水や光を与えられることのないまま放置され、やがて朽ちてしまう。途中まで芽が出かけていても、手入れしなくなった瞬間に枯れてしまう。才能がないと思うことによって、咲くはずだった花は永遠に失われてしまうのだ。

 十八歳の頃の僕は、自分にどのような素質や才能があるのかを理解していなかった。でも、十年間ずっと学び続けてきたことで、自分の中にどのような種があったのかをすこしずつ理解するようになった。と同時に、これから自分がどのような花を咲かせるのかを楽しみに感じてもいる。

 花が咲けば、次の種が生まれる。学び続けることによって、次の種の中には、より大きな養分が溜まっている。その種は、やがて、次なる花を咲かせる。そしてまた新しい種が生まれる……。

 この十年間を振り返るだけでも、僕はそのような経験を繰り返してきた。

 花を咲かせた瞬間は、それはそれで嬉しかった。でも、結局のところ、花が咲いているのなんて一瞬で、種を見つけて、育てている時間が、ほとんどすべてなのだ。そして、僕が覚えているのは花が咲いた瞬間というよりもむしろ、花を育てるまでに一生懸命に努力した日々だ。

 こう考えた時の最初に与えられる「種」こそが、生まれた時に与えられる「天賦の才」なのだと思う。その種を花開かせることなく、干からびさせてしまってはいけない。それは人生まるごと投げ捨ててしまうようなものだから。

 学欲とは、世界から何かを吸収して、養分とすることによって、自分の中にある「種」を花開かせようとする欲求だということもできるだろう。植物がまさにそうであるように、種はどんな花を咲かせるのかを知ってはいない。でも、だからこそ未来に向けて、その芽を伸ばそうとしているのではないだろうか。

 与えられた種は、一人ひとり違っている。もしすべての人の種が同じだとすれば、世界には同じ花しか咲かない。でも、一人ひとりの種が違うからこそ、僕らはそれぞれの違いを楽しむことができる。他者との出会いを喜び、支えあうことができる。共に生きることを喜び、一人ではできないことを力をあわせて成し遂げることができる。

 さて、本章は「すこしずつ変わり続けることができる」ということがテーマだった。学欲を失わずに、未来を信じ続けることで、僕らは学び、すこしずつ変わり続けることができる。その変わり続ける自分を味わいながら、さらに変わり続ける未来の自分を楽しみに感じながら、今この瞬間を生きることができる。

 そのことを伝えるために、ずいぶんといろんな話をしてきた。込み入った話や曲がりくねった話もあったと思う。でも、ここまで読んでくれたあなたは、そろそろ自分の中にある学欲の存在を感じはじめたのではないだろうか。

 でも、それはやはり放っておくと再び失われてしまうものだ。だから、次章ではそれを大切に守り、より高めていく方法について書いていこう。



(三章終わり)