フィーリングで読む弊害


 答えはノーだ。

 現代文は、論理を追う力を高めることによって、満点を取れる科目だ。論理を追う力というのは、素材がどのように組み合わされ、料理されたのかを正確にたどる力のことだ。

 現代文の問題は、どのような問題であれ、その設問の解答の根拠がある。現代文の読解問題を解くということは、フィーリングで「これっぽいな」という答えを探すものではい。前後の文脈を追うことで、「絶対にこれだ」という間違いのない根拠を見つけることだ。

 論理的に百パーセントこれが正しい答えだ。そう言い切るためには、なぜそれが正しいのか、という疑問に一つひとつ答えていかなければならない。フィーリングで解けば「なんとなく」で答えを決められるけれど、「なぜか」という質問に一つひとつ根拠を見つけ出していく作業は、とても骨が折れる。

 頭をよくできるかどうかの分岐点はここにある。

 「なぜか」と根拠を見つけ出す作業は、すなわち「考える」ということだ。だが、考えることは骨が折れるので、多くの人はそれを避けようとする。それよりも楽なフィーリングで答えを決めようとする。

 たとえば、現代文が得意でない受験生に、すこしやさしめの問題を解いてもらうとしよう。難しい言葉を使っていない文章であれば、すらすら読めて、さして問題も手こずらないで解き終わる。でも、答え合わせをしてみると間違いばかり、ということはよくある。

 そのような受験生に、どのように文章を読んだのかを聞いてみると、「なんとなく」意味を追いかけて、「フィーリング」でそれっぽい解答を選んでいることが分かる。しかも、解答と見比べてどれが正解していたかに一喜一憂して、それで終わりにしてしまう。そんなやり方で、考える力が伸びるわけがない。

 実は、現代文が得意な受験生も、こうした事情はあまり変わらない。現代文が得意な受験生ほど、センスで解ける方がかっこいいと考えやすい。そのために、論理を追い、考える力はあるにもかかわらず、その力を意識的に磨こうとしない。

 成長の過程で言語感覚を磨いてきた人は、たしかにフィーリングでもそれなりに解けてしまう。それは文章を読み、人と語り合う中で、自然と鍛えられてきた能力だ。

 でも、その感覚で現代文向きあうのは、今持っている能力にあぐらをかいているに過ぎない。そのような怠慢によって、さらに磨きをかけることのできたはずの力は頭打ちになってしまう。