一人ひとりが自分の問題を引き受ければ


 学欲を取り戻すことによって、僕らは自ら学びはじめる。そうなってはじめて、僕らは自分を取り巻く社会を知る。他者を理解するようになる。社会や他者のことをろくに知りもせず、誰かの役に立てるほど世の中は単純にはできていない。

 学欲を取り戻せば、僕らは学ぶために自ら世界に働きかけられるようになる。それを通して世界から受け取ったものが増え、少しずつ溜まっていくうちに、いつか自分にとって問題だと思うものと出会うだろう。

 出会った問題に挑戦することで僕らはまた多くのことを学ぶ。その問題を解決できるにせよできないにせよ、新たな学びを得て、次なる問題へと向かうことができる。

 世界から問題を切り出しては、解く。切り出しては、解く。それは、子どもが問題の出し合いっこをしているようなものなのではないだろうか。そのような問題の出し合いを繰り返して、人類はここまで進んできたのではないだろうか。

 もちろん、その問題のサイズは人によって違うのだと思う。「自由」なんて大きな問題をテーマにする人もいれば、「わが子の子育て」を問題にする人もいるだろう。同じ人が、その両方の問題を解くこともあるだろう。

 「自由」と「子育て」なら「自由」の方が高尚な感じもするけれど、当人にとっては「子育て」の方が重要なことの方が多い。それは、そうあるべきなのだ。

 大切なのは、大きな問題を掲げることではなくて、一人ひとりが自分で見つけたり作り出したりした問題を引き受けて、解決しようとすること。

 人類が生まれてこの方、地球が回り続けている間ずっと、世界中の人がそのように問題を解き続けてきたのではないだろうか。ある問題の解決が、次にどのような問題の解決につながるのかなんて、誰にもわからないのだから。