苦手意識に別れを告げる


 なんてことを書いていると、いやいや、ちょっと待ってくれ馬場さんよ。あんたがどう言おうとも、俺は勉強が嫌いなんだよ!という受験生の叫びが聞こえてきそうだ。

 僕もその気持ちは分かるよ。たぶん、誰よりも分かるくらい分かるつもりだよ。そういう状況で、それでも勉強しなきゃならないことのしんどさも知っている。そのように追い込まれている人が、僕が語ったことに現実味を感じられないのも理解できる。

 そうした人にはぜひ、なぜ勉強が嫌いなのかを考えてみてほしい。そもそも、その勉強が嫌いという気持ちや、ある科目への苦手意識はどのように生まれてきたのだろうか。

 自分には才能がないんじゃないかという気持ちや、頭が悪いんだとか、センスがないんだとかいった気持ちが原因なのかもしれない。おもしろくない授業や、先生や友達にいわれた一言が原因なのかもしれない。そのような状態で、テストの点数が芳しくなかったのも大きな要因になっているだろう。

 たとえば、僕にとって「美術」はそうした科目の代表だった。

 小学生一年の頃、僕が夏休みの課題に出された絵を描かないのを見かねた母が「手伝うから」と言ったので一緒に描いた。その結果、僕一人ではとうてい描けそうにない絵ができたのだけれど、なんと、あろうことか、その絵がコンクールで入賞してしまった。

 母に悪気があったわけじゃない。僕があまりに宿題をやらないのを心配してのことだったと思う。でも、この事件以来、僕は自分の絵を人に見せるのがいやになってしまった。だって、あんな絵はもう二度と描けないと思ったから。それに、親に宿題を手伝ってもらったなんてこと、友だちに知られるわけにはいかない。

 そうした事件があったことは、物覚えの悪い僕はきれいさっぱり忘れたのだけれど、その時に抱いた感情は消えることがなく、僕はいつしか学校の美術の授業をサボるようになった。そもそも絵を描かないし、作品の提出を求められても理由をつけてしないので、美術の成績は散々だった。

 そうやって僕は絵が嫌いになっていった。それが長く続いたことで、僕は大人になっても「絵心がないんだ」と思うようになっていた。まるで、現代文のセンスがない、というのと同じように。

 でも、それからさらに長い年月が経ったある日、ふとこの事件のことを思い出した。そして気がついたのだ。なるほど、僕はそうやって美術が嫌いになっていったのか、と。

 調べてみると、絵というのは努力によって必ずうまくなっていくのだということを知った。今では、僕が絵を描くのが嫌いになったのは、その原因をよく考えずに、自分に才能がないと決めつけていたからなのだと思っている。決めつけていたせいで、僕は絵を描く楽しさも、上達するチャンスも逃していた。

 もちろん、僕がピカソのような芸術家になれると言いたいわけじゃない。いきなり絵が上手に書けるようになるわけでもない。でも苦手意識が生まれてしまった原因を理解できるだけでも、絵に対して身構えることはなくなる。そこから努力を重ねれば、すこしずつ絵を書くのが好きになり、やがては上手に書けるようになるのかもしれない。

 今のところ、絵は相変わらず苦手なままだけれど、二章で触れた水泳については、あれを書いた頃から二週間くらい経った今、ずいぶん上達した。

 最初は百メートル泳ぐだけで息があがっていたのに、今では五百メートルを休憩せずに、たいして疲れることもなく泳げるようになった。それをワンセットとして、一日に三本。それを一時間で泳ぐという日課は、上達するにつれて生活の楽しみの一部になり、プールに行けない日は物足りなく感じるまでになった。

 僕らはさまざまなことに対して勝手に作り上げた苦手意識という幻想を抱いているのではないだろうか。よく原因を突き詰めて考えてみれば、その苦手意識を解きほぐし、努力を重ねることで少しずつ得意になり、ついには好きになることもできると僕は思う。