「頭がいい」って?


 「自分はバカなんで」。

 道伴舎に入りたての塾生が、そんなセリフをカジュアルに口にするのを僕はときどき耳にする。言葉にしないだけで、けっこう多くの若者がそう感じているんだろうなぁ。で、そのたびに僕は「いやいや違うよ。なぜならね……」と説明することになる。

 本章で語るのは、この「なぜならね……」の後に続けている話です。もしあなたが「自分はバカなんで」と思っているとしたら、ぜひとも注意深く読んでほしい。

 才能のあるなしとも似て、「自分の頭が悪い」あるいは「頭が良い」という考えは大いなる誤解だと僕は確信している。でも、この誤解はアスファルトにこびりついたガムのように僕らの心に張りついていて、なかなか落とすことができない。

 学校の中ではテストの点数を取れることが頭のいい証だと思われている。あいつは頭がいいからテストの点数もいいんだ、と。でも話はそんな単純ではなくて、どんな人でも成長の影には努力がある。それについては、これまでに書いてきた。

 ただ、努力できるか否かも頭の良し悪しによって決まるとしたら、頭の悪い自分はやっぱりダメだ、ということになってしまう。努力によってすこしずつ変われるとしても、基本となる生まれつきのパラメーターが低いから努力すらできないよ、みたいに。

 ここには考えるべき問題がある。

 そもそも「頭のよさ」とは何なのだろう。僕の考えでは「頭のよさ」とは「考える力」のことだ。

 じゃあ自分は「考える力」がないからダメだと思ったそこの君、それが「考える力」を育てなくさせている原因だぜ。

 多くの場合、頭の良さは「考えるスピード」だと思われている。確かに、考える力が高ければスピードも速いだろう。でも、スピードは考えることに慣れれば自然とついてくる。考えるスピードが足りないのは、生まれつきの脳の出来具合なんかではなくて、考える経験が足りていないに過ぎない。

 考える経験をせずに頭が良くなりたいと思うのは、トレーニングもせずにスポーツ選手になりたいと思うようなもので、そもそも無理な話だ。スポーツが上手くなりたければ練習をすればいい。同じように、頭をよくしたければ、正しいトレーニングを自分にあった量だけ行えばいい。

 つまり、適切なトレーニングを行うことで、頭はどんどんよくなっていくのだ。考える力は、考えれば考えるほど高まるのだ。