⑱師を見つける


 ここまで書いてきたようなハウツーを、一人で実践するのはなかなか難しい。だから、話し合いながら、どのように改善していけばいいのかのヒントをくれる「師」を見つけることが大切だ。それによって、成長のスピードは加速するし、途中で挫折する可能性も減るだろう。

 僕ら道伴舎はそのような存在になることを目的として指導している。ただ、すべての人が道伴舎に入れるわけでも、入りたいと思うわけでもない。そもそも、大学受験塾だから、それを志す人以外は入塾できない。

 いま「師」と呼べる存在を持てていないのなら、そう思える人を探そう。親族でも学校の先生でも部活の先輩でもいい。身近な人間関係では思いつかなくても、すこし遠くの関係まで目を向ければ、意外とあっさり見つかることもある。

 そうした人と「学ぶ」ことについてディスカッションをしたり、自分の悩んでいることを打ち明けて、相手の考えを聞くことによって思考は深まり、よりよく学んでいくことができるようになる。

 人は「師」と感じられる人を見つけることで、急激に変化し、成長していく。それまで「師」のいなかった僕は、大学受験を志した頃から、数多くの「師」のような人に出会った。彼らに導かれるようにして今に至っていると思う。

 「師」は自ら求めなければ決して見つからない。だから大切なのは「師」を求める決意をすること。

 とはいっても、なかなかすぐには見つからないかもしれない。そうした時には、さしあたって自分が師の役目を果たす、というやり方もある。

 僕の受験時代、本格的な勉強に取り掛かる前は、一人でこの方法をよくやっていた。たいして勉強をしていないのに、研究中の学習法について友人に「これがいいよ」と語っていたりして。

 「勉強できない奴が何を」みたいな目で見られたし、いま振り返ってみれば危なっかしことをしていたと思うけれど、でも、話を聞いてくれる人がいたおかげで、僕は僕なりに自分の考えを整理し、深めていくことができた。

 人を指導する立場になって分かったことのひとつは、人が最も良い学びを得るのは、実は他者に教える時だということ。自分が学ぶ立場の時にはなかなか気がつきにくいけれど、たとえば、僕はこの文章を書きながらいくつもの発見をしてきた。

 指導をしていても、それと似たようなことを感じる。実際、道伴舎の指導スタッフの学生たちもまた、口を揃えたように塾生に教えてもらっている、と言う。たぶん、当の塾生はそんなことをまったく感じていないのだけれど。

 僕らは「師」を持つことによって、そこから学びを引き出すことができる。と同時に、自分が「師」になることによってもまた、多くの学びを得ることができる。

 不思議に思えるかもしれないが、「学ぶ」ということの本質は、他者とのコミュニケーションにあるのだと僕は思う。だとすれば、師を持ったり、自分が師になったりすることで多くの学びを得るというのは、さほどおかしなことではない。

 さて、ここまで述べてきた十八のハウツーは実践しなければ意味がない。そして、実践できるか否かが、本当に自分を変えられるかどうかを分ける。

 だから、繰り返しになるけれど、「なるほど」で終わりにしないでほしい。すぐに上手くはできないと思う。でも、それは当たり前のことだ。ここに書いてきたことはすべて、僕が試行錯誤を繰り返し、長い時間をかけて身に着けてきたものなのだから。

 大切なのは、どうすれば自分に活かせるのかを自分の頭で考え続けること。そのことを忘れないでもらえれば、僕が無数の失敗を重ねてきた甲斐があったというものだ。

 では、いよいよ次は最終章です。



(五章終わり)