⑬自分の「感情」を吟味する


ゲームのキャラクターのように自分を操作するやり方は、大きく分けて二つある。ひとつは自分の「感情」を操作する、という方法だ。

 先ほどの例でいえば「ゲンナリする」という感情がある。ここから「机に向かわない」という行動が生まれるわけだけれど、そもそも「ゲンナリしている自分」というのを見つめることによって、「おいおい、ゲンナリしてるよこいつ」とツッコミを入れることもできる。

 そこから「なんでこいつはゲンナリしてるんだ?」と考えられれば、「なるほど、朝起きられなかったからゲンナリしてるんだ」という答えは自然と導き出される。でも、それって、そんなにゲンナリするほどのことだっけ。たかだか一時間か二時間くらい寝坊しただけだよね。しかも、昨日は夜遅くまでゲームしていたんだから、寝坊するのは仕方ないじゃないか。

 そんなことを、斜め後ろの上空から自分を見下ろすイメージで、自分に問いかけてみる。そんな気持ちで一日を過ごしてもおもしろくないし、そうやって何度も日曜日を棒に振ってきたことを思い出せれば、ゲンナリしててもしょーがないな、という気持ちになる。最終的に「ゲンナリしてる俺ってw」みたいに笑い飛ばすところまで来れれば、ネガティブな感情は消し飛んでいく。

 感情にただ流されているだけでは、動物とたいして変わらない。その感情を目の前に置いて、どのように扱うかを考える力を僕らは持っている。それは生物的に自然と起こる感情を、人間の考える力によって別様に解釈し、それまでとは異なった意味を与え、違う形に作り変えて受け入れるということだ。

 何かで失敗したり、不幸な出来事に遭遇して悲しみを感じた時。あるいは怒りを感じる事件が起こった時。そうした強い感情に襲われた時、僕らは感情のままに行動してしまいがちだ。でも、そういう時こそ自分をゲームの中の主人公のように見立てて、ネガティブな感情に圧倒されたままでいいのかな、と自分に問いかけることが大切だ。

 もちろん、すべての感情を押しとどめることはできないし、その必要もない。でも、その時々の感情に流され続けることは、必ずしも自分の望む生き方ではないだろう。

 感情に流されて生きるのではなく、自分の意志の元に生きるためには、その時々の感情を吟味して、どのように扱うかを自分で決められる力を鍛えることが欠かせないのだ。