もともと自分には才能がなかった……?



 「勉強ができないのは自分のせいだ」という罪悪感を抱いて生きるのはつらい。だから子どもは成長するにつれて「もともと自分には才能がなかったんだ」と考えるようになる。こう考えることで、勉強ができないのは自分のせいではなくなる。才能という、自分にはどうすることもできないものが原因になるから。

 こう考えることによって、勉強ができないことへの罪悪感は減っていく。

 でも、それによって自分の可能性も同時に失っていることに子どもは気づかない。

 大人は、子どもが勉強しないことを責めるわりには、勉強できない子どもが「自分には才能がなかったんだ」と考えることには反論しない。おそらく、子どもを責めている大人自身もそのように思っているのだろう。だから「自分には才能がなかった」という発想は、だれにも否定されることなく、むしろ強化されていく。

 マンガを読んだりアニメを見たりしていると、主人公であるヒーローは生まれつき他の人にはない才能を持っているように思える。なるほど、世の中はやっぱり生まれつきの才能で決まるんだな。そんなふうに思わせるものが、僕らの身の回りにはあふれている。

 その結果、勉強ができる人がいたら「あいつは元から頭がいいから」、スポーツができる人がいれば「あいつは元から運動神経がいいから」、そんなふうに、すべては生まれつきの才能によって決まるという世界観が形作られていく。

 そのような視点で世の中の眺め渡してみると、才能のある人とない人の二タイプに分けられるように思えてくる。テレビに映る人と、それを観る視聴者。表彰台に上がる人と、それを眺める観客。この世界には、主役と観客の二通りの人間がいることに気がつく。

 そして、考えれば考えるほど、これまでの過去を振り返るかぎり、自分が才能ある人のグループに入っているとは思えなくなってくる。生まれも平凡だし、育った環境だって特別なところはない。なるほど、自分は才能のない人なんだ。

 だから、自分が勉強できないのは仕方ない。

 だから、自分がヒーローになれないのは仕方ない。

 だから、自分はこの世界の脇役として一生を終えるのは仕方ない。

 あまり受け入れたい考えには思えないけれど、どうにもぱっとしない現実を前に、確かにそうなのかもしれないという気持ちが強くなってくる。時には心の奥底でそれに抗おうとする衝動が生まれるけれど、だからといって何かが変わるわけではない。

 いつしか自分の可能性に期待を抱き続けることに疲れ、やがて「もともと自分には才能がなかったんだ」という考え方を受け入れる。その方が楽に生きられるような気がして。