少しずつ変わっていける

 子どもにはどうすることもできない理由によって学欲は失われていく。にもかかわらず、大人は、つまり親や先生は、それで子どもを責めるような態度を取ることが多い。さしずめ、勉強できない人間はダメなやつだ、みたいに。

 そうした無言のプレッシャーを、僕は長いあいだ感じて生きてきた。ありふれているために意識されることはなかったが、いま振り返ればそうしたプレッシャーは僕を押しつぶしかけていた。だから、そのようなプレッシャーを受けて、生きづらい思いを抱いている人の気持ちはよく分かる。そうした塾生を見ると、いたたまれない気持ちになる。君が悪いわけじゃないぜ、と言ってやりたくなる。

 君が悪いわけじゃないぜ。だって、君は君なりに精一杯やってきたじゃないか。それ以上、自分を責めてどうする。勉強ができないことにも、勉強を嫌いなことにも、原因があった。もっと小さな頃には君だって学ぶことに目を輝かせていた時代があったはず。こうなってしまったのは、君一人ではどうすることもできなかったことだよ。

 だから、勉強できない自分を責める必要はない。ましてや、そうしたことに対して罪悪感を抱く必要はない。そして、そのことを理解できれば、君は学欲を必ず取り戻せる。

 こうしたことを僕は時々言うのだけれど、彼らが僕の言葉をはじめから素直に受け止めてくれることは少ない。不安げに「ほんとかな?」と疑ってかかってくることが多い。それほど長きにわたって、彼らは「勉強ができないのは自分のせいだ」という罪悪感に、病的なほど苦しめられている。こうした重い病にも似た症状は、簡単に取り除けるわけではない。だから、繰り返し語り合い、時間をかけてすこしずつ理解してもらう。

 人の変化や成長に関わる経験を重ねてわかったことのひとつは、人は急には変われない、ということ。もし急に変わることがあるとすれば、変わるだけの下地がその人にあった場合に限られる。できることならこの本を読み終えた時点で人生が変わるような感覚を持ってもらえることを願って書いているけれど、僕の文章力の限界もあるし、現実的にはすぐには変化を実感できないことの方が多いのかもしれない。

 でも、たとえそうであったとしても、諦めないでほしいと思う。僕らは急激に変化することはできないけれど、諦めなければ、かならず、少しずつ変わっていける。そしてこの章は、まさにこの「少しずつ変わっていける」ことがテーマになる。