僕らは問題を見失っている


 希望とはなんだろう。いろんな答え方があると思うけれど、未来は今よりよくなるという気持ちだと僕は思う。では、希望が見当たらないと言われるこの国では、未来は今よりもよくならないのだろうか。

 たしかに、そう思っている人は少なくない。でも、そんなはずはない。だって、この国は、この世界は、まだまだ不完全であり、それを変えるための力は僕らの中にあるのだから。

 思うに、僕らはこの世界にまだまだ問題がたくさんあるということを忘れてしまっている。衣食住という問題を父祖たちが解決してくれたために、新しい問題を手にすることができず、今より世界をよくすることができるという感覚を知らないまま育っている。

 僕らの父祖が戦後にあれだけの努力をすることができたのは、目の前に解決すべき問題があったからだろう。衣食住が足りない。よし、それを解決しよう。それは、とてもシンプルだ。そうしたシンプルな問題の多くがひとまず解決された今、僕らは解決すべき問題を見失ってしまっている。

 でも、もう一度言うけれど、世界はまだまだ問題だらけだよ。この国にだって、数え切れないほどの問題がある。そして、そのために格闘している人は、あまり目立たないだけで、昔もいたし、今だっている。人知れず地道に行動している人は、この国にも、世界にも、無数にいるのだ。それに気が付かないのは、ただ知らないからに過ぎない。

 僕らが再び問題を見つけ出し、その解決のために全力を尽くせるような生き方をするためには、僕らは世の中のことをもっと知る必要があるだろう。そのためには主体的な興味を持って学び、どのような問題を自分が解くのかを考えることが欠かせない。

 学べば学ぶほど、僕らはこの世界を知ることができる。自分ができることも広がっていく。それによって、自分が解くことのできる問題も増えていく。そうやって、世界中にある問題の中から、自分が解きたい問題を見つけ出し、その解決に向けて力を尽くすことができるようになる。

 学欲とは、そのような「問題を解きたい」という欲求にも通じているのだと思う。その欲求が叶えられることは、僕の経験的に言えば、とても嬉しいことだ。だからこそ、そのために努力することには楽しみや充実感を感じられる。

 衣食住の満ち足りた世界に生まれてきた僕らは、父祖たちが解決しなければならなかった問題に悩まされることなく、この世界に存在している無数の問題を解くために生きられる。父祖たちの達成の上で、僕らは世の中の救いようのなさを嘆くのではなく、それを変えるための原動力になることができる。

 そのような可能性は、僕らが見失っているだけで、すぐ手の届くところにあるのではないだろうか。それに気がつけば、あとは一歩ずつ進み、学び続け、努力し続けていくだけでいい。しかも、それは僕らに楽しみと充実感をもたらしてくれるのだ。