「オレって天才じゃないのかも」


 ここで、ちょっと話を変えてみよう。

 『スラムダンク』というバスケットマンガを知っているだろうか。うちの塾生に聞いてみてもあまりよい反応は返ってこないから、若い人は読んだことのない人のほうが多いのかもしれない。でも、僕の同世代では絶大なる人気を誇り、男子のみならず女子も読んでいるようなマンガだった。

 僕は、マンガは好きなのだけれど、ふだんは立ち読みで済ませるか、友だちの家で読ませてもらっていた。でも、受験生だった頃の僕は、どういうわけだかこのマンガに惹かれて、生まれてはじめて全巻買い揃えた。そして、勉強漬けの日々のささやかな楽しみとして、毎日一話か二話ずつ読んでいた。

 物語はバスケット初心者の主人公・桜木花道が、ヒロインの女の子に惹かれて、「天才バスケットマン」と自称してバスケ部に入部するところから物語ははじまる。

 バスケットの初心者だった桜木花道は、ヒロインに振り向いてもらうため、数ヶ月のうちに全国クラスのプレイヤーと競り合うほど急速に成長する。そのマンガ的な成長ぶりは、物語の中では主人公の努力によってリアリティを維持している。受験生だった僕がこの物語に共感したのも、振り返ればその努力する姿に励まされていたからだと今は分かる。

 ちょっと恥ずかしいことを告白すると、僕は小さい頃から自分のことを天才だと思っていた。別に根拠があったわけじゃない。勉強はとりたてて苦手というわけではなかったけれど、人に自慢できるような成績からは程遠かった。スポーツだって似たようなものだ。人より特別何かができたということは、ほとんどなかったように思う。

 でも、どこかで自分のことを天才だと思っていた。それくらいなら小学生くらいの男の子なら大抵抱いている。ただ、僕は学校の机にカッターや彫刻刀で「天才」という文字を書く癖があったので、僕の座った机にはことごとく「天才」と刻まれていた。本物の天才ならそんなことはしないだろうから、僕はよほど自分を天才だと思いたかったのだろう。

 そのような気持ちは大学受験をする頃になっても心のどこかに残っていた。桜木花道が「天才」と自称しながらも、やがて危機を迎え、自信を失いかけて「オレって天才じゃないのかも」とこぼす場面は、それまでの自分と重なって見えた。

 「天才じゃないのかもしれない」。

 そう感じた時、子どもの頃にあらゆる未来が可能だと信じていた素朴なワクワク感が、すべて否定されたような気持ちになる。結局のところ、自分は才能がない、単なる凡人なのかもしれない。世界の主人公ではなく、観客として一生を終えるのかもしれない。

 そう思うと、未来がやってくるのが急に恐ろしくなった。高校を辞めてからの僕は、そのような恐怖を内に抱えていた。なんとか諦めまいとしていたけれど、でも、それを乗り越える術は見当たらなかった。