あとがき


 約二ヶ月間、この本と向き合ってきた。今は、連日連夜の推敲を重ねた最後の一週間の終わりで、ようやくあとがきに手をつけられてほっとしているところ。

 ただ、予定した出版時刻に間に合わせるため、あと一時間後にはアマゾンのキンドル・ダイレクトパブリッシングというサービスに入稿しなければならない。だから、言葉足らずのところもあるかもしれないけれど、これを書き終えた今、感じていることを率直に書いてみたい。

 本書を最初に書こうと決めたのは二年以上前のことだった。当時、メディアに大きく取り上げられたこともあり、在籍していた塾生は四百名以上いたものの、新たな入塾は減っていた。そのまま手を打たなければ来年度の塾生が減ることが明らかだった。だから書籍によって多くの人に知ってもらい、塾生の獲得につなげることを狙いとしていた。

 ある大手出版社との話し合いの末、企画が通り、一通りの原稿も書いた。大まかな内容はいいということで推敲に取り掛かろうとしている頃、僕の中に疑念が生まれた。

 この原稿を、本当に出版していいのだろうか。

 書いた内容に嘘はなかったし、それなりに自信もあった。でも、この原稿の書かれた動機を突き詰めれば、読者のためではなく、塾の経営のためだった。自分の心に問いかければ、それは明らかだった。でも、塾生数を維持しなければ社員やアルバイトの学生をこのまま雇うことはできない。

 そのような葛藤はあったものの、最終的には出版しようと決めた。このままでは遅かれ早かれ経営が立ち行かなることは目に見えていたし、僕にとっても二冊目の書籍が世に出るのは単純に嬉しいことだった。なにより、塾生が増えて拡大していくという追い風を失い、その時の仲間と共に夢を追い続けることができなくなることを恐れていた。

 だが、出版の決心を固めたタイミングで、ある事件が起きた。それによって、僕らの会社はそれまでと違うフェーズに入った。ここで詳細を述べることは控えるが、ちょうどあの震災が起こった時期のことだ。この事件を機に、出版は取りやめになった。

 その後、約一年にわたる衰退期の末、ごくわずかな入塾者を除いて塾生が増えることはなく、塾生数は四百名から百名を割り込むまでに減った。最大で総勢百名近く在籍していたスタッフも十数名にまで減少し、フルタイムで働くのは僕一人だけになった。そのような時期の経営や指導が、胸を張れるものであるはずがない。

 そんな中で迎えた昨年の誕生日は、人生で一番苦しい誕生日だった。高校をやめて一人で自室にこもっていた時期が過ぎ、もう二度とあんなしんどい時期は来ないだろうと思っていたけれど、十年の時を経て、それ以上のものが襲ってきた。その日のブログにはなんとか強がって十年間を振り返るエントリーを投稿したけれど、実のところ、抱えていた苦しさを滲み出さないようにするだけで精一杯だった。

 その時から再び一年の時が経った。

 塾の規模は相変わらずこの数年間での最小規模のままだ。でも、失敗を経験したおかげで、本当にやりたい指導は何なのか、どのような会社を作って行きたいのかを考えなおすことができた。また、組織が小さくなったことで、拡大志向に陥らずにやっていけるようになり、スタッフ間のコミュニケーションも密になった。

 そのようにして過ごした一年は、それまでと比べればはるかに規模は小さかったけれど、充実して、楽しい日々だった。そうした時間を重ねたことで、僕は以前に書いた原稿をすべて破棄し、新たな気持ちで本書の執筆に取りかかることができた。

 そのようにして書き上げた原稿を先の出版社から出せないかと考えたけれど、この原稿では難しいと言われた。その理由は分からなくもない。本当に一握りの必要としている人に届けばいいと思って書いた本であり、書店に並べられて、たくさんの人が気に留めるような分かりやすい本ではない。

 でも、僕はこの本を世に届けたいと思った。

 ちょうどその頃、アマゾンがキンドルを発売し、ダイレクトパブリッシングというオンラインでの電子書籍プラットフォームが立ち上がり、ほぼ無料で出版できることを知った。一人でも多くの必要としている人に届けばいいと考えていた僕にとって、そのサービスはこれ以上ないもので、奇跡的なタイミングに運命的なものすら感じた。

 電子書籍での出版を決めると、同時にこのまま原稿をウェブで公開してしまおうという気持ちになった。アマゾンであれば、面倒な著作権の交渉も必要なくそれを実行することもできる。

 そう考えて、電子書籍とウェブ記事、そして印刷用のPDF原稿の三つを同時に公開することに決めた。ちょうど僕の誕生日が十日くらい後に迫っていたので、せっかくだからと、その日にあわせて刊行することもその場で決めた。

 そこから怒涛の推敲と、刊行に向けての準備がはじまった。それを担ってくれたのは、僕が一人でやっていこうとしていた時に、古巣に戻ってきてくれた二人の男だった。

 熊谷は泊まりがけの推敲に連日連夜つきあってくれ、今朝方、ボロボロの表情で自転車に乗って家に帰った。本書の装丁とウェブデザインを手がけてくれた照屋は、今も横でウェブサイトのリリースの準備をしている。彼ら二人が戻ってきてくれていなければ、今年の道伴舎はありえなかった。この本がこうして世にでることもなかった。

 同じことは、今年、道伴舎の指導スタッフとして残ってくれた十数名のスタッフにも言いたい。ボロボロになっていた組織をここまで立ち直らせてくれたのは、一人ひとりの情熱があってこそだった。彼ら彼女らが塾生を思う気持ちに、僕がどれだけ励まされたことか。

 最高の仲間に恵まれて、素晴らしい時間を過ごすことができた。そのことに、いくら感謝をしてもしきれない。それは過去の五年間、一緒にやってきた仲間と、支えてくれたすべての人にも言いたい。

 さまざまな人が支えてくれたおかげで、今こうしてここまでやってこれたこと。そして、これからもやっていくであろうこと。そうした人生を歩むことができているのは奇跡でしかなく、なぜ僕がこの人生を与えられたのだろうかと不思議になる。

 でも、とりあえずこれが与えられた一度きりの人生なのだから、それを精一杯生きていきたい。この本は、そのようにして生きた未熟な二十代の僕のささやかな到達点だ。さらなる高みを目指したいけれど、とりあえず今の僕にできることは尽くしたと思う。その結果がどのようなものなのかは、読者の判断を仰ぎたい。

 最後まで読んでくれて、どうもありがとう。



 本書の表紙には、今年の夏、はじめての三人での社員旅行で照屋が撮った写真を使った。第一期の塾生であり、道伴舎で三年間にわたって指導スタッフを務めた真野をベトナムに訪れた際に泊まった、ブイビエンストリートというバックパッカー街での一枚。

 あの国の、あの通りで感じた熱気は凄まじかった。でも、そのようなエネルギーを僕らは完全に失ってしまったわけではない。スマートに生きることに慣れているけれど、僕らは、もっと熱く生きることを心の底では望んでいる。情熱を閉じ込めている蓋をあければ、ほら、すぐ手の届くところにそれはある。

 胸の奥深くから込み上げるその情動を、あなたは感じているだろうか?



最高の誕生日の前日に
二〇一二年十二月一日
馬場祐平