本を血肉と化すために



 学欲をめぐってずいぶんと長い道を通ってきたけれど、おつかれさまでした、もうすぐおしまいです。が、その前に、ざっとこれまでを振り返ってみよう。

 話のはじまりは、成長するにつれて人は学ぶことを嫌いになっていくが、それは永久不変の真実なのかという疑問からはじまったのだった。

 その問いに対して僕は、社会や教育の仕組みが不完全だからそうなってしまっているだけだ、と答えた。僕らは生まれ持った「学欲」を失わずに、赤ん坊のような強い欲求を抱いたまま大人になることができるのだ。

 二章では学欲が失われる原因を眺めた後で、「教育」という言葉の問題点を取り上げた。「教え育てる」ことには「勉めて強いる」にもつながる、どこか不穏な空気が流れているのではないか、と。僕らが「結果」を求める思考に縛られるあまり、「プロセス」を台無しにしていることについても、この章で述べた。

 三章では生まれ持った才能があるかないか、という考え方によって多くの人は自分を世界の脇役だと思い込んでしまっているということを述べた。でも、僕らはいつだって世界の主人公になることができる。そのために一番大切なのは、すべてを決めるのは才能ではなく努力なのだと理解すること。その努力によって、僕らの中にある素質は花開く。ただ、花が咲くのなんてほんの一瞬で、生きることのほとんどは花が開くまでのプロセスなんだ、ということにも触れた。

 続いての四章では頭の良さについての誤解を解きほぐそうと試みた。僕らは頭の良さを変わらない性質だと考えがちだ。でも、努力を続けることで思考力は高まる。思考停止に陥らなければ、僕らの頭は必ずよくなっていく。適切に、素早く考えられるようになる。そうしたことを料理の例を引きながら語った。

 そして、先の五章では学欲を抱いて、いざ実行しようとした時に役立つハウツーを紹介した。それぞれの項目はいま見てきたばかりだから省くけれど、ひとつのトピックで一章分くらい書ける内容を二ページ程度で済ませたので、消化しきれないところもあったかもしれない。それでも、千里の道の道中で、時々思い出して、役立ててもらえると思っている。どれも僕が自分で経験し、実践して、活かしてきたことばかりだからだ。

 できることなら、この本は一読して終わりにするのではなく、読み返してもらえたらと思う。僕自身、気に入った本は必ず読み返すようにしている。そうしないと自分の血肉にならないからだ。ある知識を自分の体になじませるためには、牛が食べた草を反芻して消化するように、ゆっくりと飲み込まなければならない。

 でも、本を読み終えることを目的にするのではなく、自分の血肉として取り入れることを目的にする読書ができれば、学びの実感を得ることができ、そこに楽しさや喜びを見いだせるようになると思う。

 それは、著者冥利に尽きる読まれ方だ。そんな風に読んでもらえるといいなと願いつつ最終章に入ることにしよう。