「死ぬ瞬間」をどのように考えるか

 転換点になったのは、僕はどのように「死ぬ瞬間」を迎えたいのだろうかと考えたことだった。

 死ぬことが怖かったから「死ぬ瞬間」は幸せに迎えたいと思ってきた。死ぬことが避けられないのならば、最後の時にはハッピーでいたい。終わり良ければすべて良し。それが達成できれば、それまでの自分の全人生が肯定されるように思ってきた。その時を迎えるために今日を生きるのだと思ってきた。

 でも、ある日、ふと思った。


 転換点になったのは、僕はどのように「死ぬ瞬間」を迎えたいのだろうかと考えたことだった。

 死ぬことが怖かったから「死ぬ瞬間」は幸せに迎えたいと思ってきた。死ぬことが避けられないのならば、最後の時にはハッピーでいたい。終わりよければ全てよし。それが達成できれば、それまでの自分の全人生が肯定されるように思ってきた。その時を迎えるために今日を生きるのだと思ってきた。

 でも、ある日、ふと思った。

 おい、ちょっと待てよ。「死ぬ瞬間」に幸せでありたいだけなら、ドラッグなりアルコールなりで酩酊して死んでしまうほうがずっと確実なんじゃないだろうか。交通事故にあったり、病気になって苦しみながら死んだりする可能性の高さを考えれば、その方が間違いなく「死ぬ瞬間」の幸せを感じられるんじゃないだろうか。

 でも、それは明らかに間違っているように思えた。そこで、もっと極端に考えてみた。

 「死ぬ瞬間」は完全に幸せで、そこに至るまでのすべてが苦痛なのと、逆に、「死ぬ瞬間」は不幸だとしても、そこまではずっとハッピーなのと、どちらがいいだろうか。

 答えは、明らかに「死ぬ瞬間」は不幸でもいい、というものだった。

 いま思えば、難しく考えなくたって、小学生にだって出せる答えだと思う。でも、僕がこのことを理解するためには、死を恐れはじめてから十数年の月日を要した。

 そして、この時から僕はこう考えるようになった。

 死ぬ瞬間が幸せでなくてもいいのなら、僕はこの一瞬一瞬を大切にしたい、と。どこか遠くのポイントに幸せを求めるのではなく、いまここにある一瞬一瞬に、自分が充実感を抱いて、喜びと楽しみを感じながら生きていきたい、と。