ネトゲ廃人になった一年間の意味


 僕は、小学校に入ってしばらくしてから高校を辞めるまでは、自分から「学びたい」と思ったことはほとんどなかった。そうした気持ちが生まれることがあっても、周りのノイズが多すぎて、すぐにかき消されてしまった。

 「やれ」と言われた勉強を、仕方ないからやっているだけ。だからこそ、勉強以外におもしろそうなことがあれば飛びついた。勉強はといえば、親や先生に怒られない程度にやるだけ。友だちに見下されないように、という気持ちも働いていたかもしれないけれど、いずれにしても、自分の内側から溢れるような情熱を抱いて勉強したことは、ただの一度もなかった。

 それでも、とりたてて勉強ができるわけではなかったにせよ、小学校の頃はなんとかやっていけた。でも、中学や高校で受験勉強のレールに乗った途端、まったく勉強についていけなくなった。そして一度遅れを取ると、それを取り返すのがいかに難しいのかを痛感させられた。

 中間テストや期末テストの前に「なんとかしなきゃ」と思って机に向かったこともある。でも、既に取り返しがつかないくらい遅れていたし、分からないことが多すぎた。やる気は一瞬でなくなって、諦めて、どうにでもなれという気持ちのままテストに突入した。そういうことが繰り返されて、結局、僕は勉強ができないのだと思うようになった。

 プライドだけは高かった僕は、どうせついていけないのなら、と勉強を完全に投げ出した。そして高校も辞めた。それ以外に選択肢はなかった。でも、だからといってその先に何か希望があるわけでもなかった。

 どうすればいいのか分からなくて、それから一年くらいは逃げるようにネットゲームに夢中になっていた。いわゆるネトゲ廃人というやつだ。

 でも、いま振り返れば学校や社会から隔絶されていた一年間にも意味はあったと思う。おかげで「勉強しなければならない」という強迫観念めいたものから完全に離れることができた。ネットゲームにもさすがに飽きてきた頃、ありあまった時間を潰すために、僕はすこしずつ本を読みはじめた。

 自分から本を読むなんて小学校の頃以来だったけれど、お腹が空いてきた子どもがお菓子に手を伸ばすように、僕は自然と本に手を伸ばすようになっていた。

 学校でやらされる「勉強」とは違って、自分の興味の赴くままに本を手にとって読むのは楽しかった。そして、家と学校の往復しかしていなかった頃には想像できなかった世界があることを知った。「いい大学へ行って、いい仕事につく」といった受験勉強的な枠組みを超えた生き方に出会った。