料理がうまくなるように、頭もよくなる

 世界中の国や地域ごとにさまざまな料理があり、家庭と大衆食堂とレストランといった異なる食べる場所がある。それぞれに素材も違えば、料理の方法も異なるだろうけど、ひとつの料理ができあがるまでのプロセスは、どこかで通じ合っているものがある。


 当たり前のことだけれど、どれだけ料理が下手な人だって、きちんと練習をすれば上手になる。そして、練習というのは、さまざまな方法がある。調理法が分からなければ、レシピ本を眺めたり、ほかの料理上手な人に教えてもらえばいい。

 ただ、料理がうまくなるためにはレシピ本を読んでいるだけではダメだ。なにはともあれ自分の手を使って料理することが欠かせない。自分の手を使った料理の経験を重ねることによってはじめて、料理は適切に、素早く作れるようになっていく。

 僕にとって、いちばん最初の「料理」に似た経験は、果物の皮むきだった。果物の皮むきを料理と呼ぶかは微妙なところだけれども、ともかく、子供の頃に僕が食材に関わるのはそれくらいだった。

 でも、果物の皮をむくのだって、小さい頃には失敗の連続だった。果実の部分まで削りすぎて、りんごはいつもでこぼこだった。よく手を切って絆創膏を張ってもいたし、なにより、とても時間がかかった。

 でも、そうした経験を重ねるにつれて、果物の皮むきは僕の得意なことのひとつになり、りんごの皮を一枚につなげたまま、きれいに、早くむくことができるようになった。

 そのようにして身につけた包丁さばきは、後に果物以外の食材を切るときにも役だった。時には指を切ったりしながらも、自分の手で包丁を使っていたから、それを上手に使いこなせるようになった。

 小学校での四則演算は、こうしたりんごの皮むきに似ていなくもない。小学生が掛け算の百マス計算をする時、何度も何度も繰り返すうちに間違うことが減り、すこしずつ早くなっていく。

 そうした計算力は、その後出会うことになる算数数学の複雑な問題を解くためのベースになった。そうしたベースがなければ、複雑な問題を解くことはできなかっただろう。

 思考力も、料理と同じように「自分の頭を使って考える」ことで伸びていく。そして、そうやって身につけた力は他のことを考える時の下地になったり、応用するためのヒントになるだろう。分かりやすく計算を例に引いてみたけれど、これは算数や数学に限った話ではもちろんなく、あらゆる科目、学習にあてはまる。